ロジハラ

ロジハラという概念がある。
ロジカル(ロジック)ハラスメント、ようは論理的に厳密な話をするとか正論を突きつけるとかいうのがハラスメントになるという話である。
自分が初めに見かけたのはネット上でのフェミニズム関係の議論においてであるが、少し前にテレビ番組上で紹介され、些か無理のあるハラスメント概念だということで

のような反応があり、一方で のような反応もあったようである。
個人的にどちらも(特に後者)ポイントがズレているように感じる。
ロジハラはそれ単独でどうこうというより、むしろTPOの問題であろう。

議論中・日常会話・叱責や指導

まず、議論中に反論をロジハラと呼ぶのは無しである。それを許すと論理的な議論が成立しない。
日常会話でいちいち面倒くさいことを言うのはロジハラと呼べるかもしれないが、単に神経質とか面倒くさいとか言えば十分だと思われる。
叱責や指導の場面で論理的に詰め(過ぎ)るのはロジハラと呼べるかもしれないが、こういうのも単に言葉選びや態度の問題であろう。
このように考えていくと、あえてロジカルであることを問題にするロジハラ概念を用いる意味がある場面は、ほとんどなさそうである。

ハラスメントの重み

そもそも、よく言われていることであるが、ハラスメント概念が増えてゴチャゴチャし過ぎて、その重みがよく分からなくなっているのが根本の問題としてある。(冗談とかならともかく)何でもかんでもハラスメントをつければいいというものではない。言葉は安売りすると重みが失われる。
そういう観点からしても、ロジハラ概念を真面目に取り扱うと、むしろ混乱を増やしてしまうだけではないかという感じがする。

ところで、

受け手がそう感じたらハラスメント

というスローガン、誰が言い出したのかは知らないが、明らかに不毛なスローガンである。
典型的には「セクハラはそう感じた人がいればセクハラです!」みたいなのがあるが、控えめに言って無敵の論法で、「『セクハラはそう感じた人がいればセクハラです!』という発言によって、私はセクハラをされたように感じました。よってセクハラです!」と反論すれば内心の問題になって以降無限ループとなる。

やはり、真面目にハラスメントについて議論するならば、客観性や程度の問題をないがしろにすべきではないのである。