本に対する幻想

本はしばしば「知性・知識の象徴」として語られる。
人類史のようなスケールで見ればまあそうとも言えるだろうが、実際の所やや過大評価というか、本という媒体は知的な権威とか幻想のようなものを持たれ過ぎているようにも感じる。
自分も本好きの部類に属するとは思うが、読書がちゃんとした勉強としての意味を持つ範囲は結構狭いと感じるし、焚書(的行為)が非人道的だというのも、非人道的ではあるが程度としてやや過剰な思い入れを持たれているように感じる。
人は過ちを犯す、ということに異論を唱える人はいないだろう。本もそんな人が書いたものであって、そこそこ間違っているものである(校正・査読といった概念はあるにしても)。
昨今、情報リテラシーということで「ネットの情報を鵜呑みにしてはいけません」みたいなことはよく言われるが、オールドメディアである本にも

  • 誤りやミスリードがある
  • 実質的・具体的な中身が無い
  • 無駄に不親切だったりして時間を浪費させられる(そしてサンクコストでクソ本だと認められなくなる)
  • 著者がわけも分からず伝言ゲームをしている

といった本当の意味での「悪書」はいくらでもある。そんなクソな本を避けるリテラシー、あるいは批判的に読むリテラシーというのも、こんなご時世だからこそ改めて強調されてもいいのではないかと感じる。