掛け算の順序問題

算数教育における掛け算の順序問題というものがある。
ようするに掛ける数と掛けられる数には(導入時点では?)(何らかの意味で?)区別があるという固定派とそれはおかしいのではないかという自由派の論争である。
もう風物詩の域に達している気がするが、SNS上の議論を軽く追って幾つか発見などもあったので、それを踏まえ、要点を自分なりにまとめる。

肯定的な科学的根拠がない

順序を固定して指導する教育上のメリットを示した研究は(自分の知る限り)ない。

否定的な弱めの科学的根拠がある

小規模な研究で、解答の順序 と 絵を描いて説明できたかどうか は関係してないことが分かっている。

上述の二点で「固定する意味は特にない」「固定したいなら強いデータを出してね」で終了している。 (必然性のないローカルルールのせいで×がついたりつかなかったり、そのせいで混乱が生じ、不毛な議論が生じていることなどデメリットは色々考えられる)
以下はおまけである。

おまけ

単位

単位を意識して考えるという話から物理でいう次元解析の話が出てくる。高校生でも理系でそこそこできないと難しい=小学校教諭でも難しい話である。さらに小学生が扱う値は無次元数なので、ある意味さらにややこしい。単位を明確に意識して計算すると、一般化された分数概念が登場し、掛け算そのものより遥かに難しい話になる。そんなことを気にするなら、じっくり図で説明するなり、さっさと九九を教えた方がよい。

非可換

足し引き割り算のうち、引き算と割り算は非可換な演算であるから、足し算と掛け算も順序を意識した方がいいのでは?みたいな話が出たりする。そんなことは、その都度教えればよい。
行列の積が~とか四元数が~とか非可換群が~非可換環が~みたいな話もでる。断然、その都度教えればよい。これは半端な数学知識を持ってる人がよく言ってる印象がある。
その段階ではまだ交換法則が証明されていないのでは?とかもある。それをいうなら、自然数集合論的に構成するところから始めるのかという話になる。そんな抽象論の片鱗を1ミリでも気にするくらいなら、子供は好きに計算すればよい。
難しい話を絡める前に、素朴に数に慣れることの方が常識的には重要であろうし、実際にそうしている。専門的な数学でも天下り的な説明は日常茶飯事である。掛け算も変に欲張ろうとせず、そうすればいい。

理学vs算数教育学

理学が算数教育学を攻撃しているという論もあるが、変なことをしていたらツッコまれるものである。ツッコまれたくなければ、固定のメリットを示せばよい。それをしないなら算数教育学の意味はない。 理系嫌いっぽい人が良く言っている印象がある。理系に対する好き嫌いと、順序の問題は分けて考えてほしい。

できない人の気持ち

順序自由派はできない人の気持ちが分からないという論もあるが、「固定した方ができない人にとって分かりやすい」のか自体が謎である。 塾講師をやっていた時にできない子を担当した経験がある、みたいな人がよく言っている印象がある。が、順序自由派は別にエリート主義ではない。

発達段階

ピアジェの発達段階がどうのこうのという論があるが、ピアジェの学説は順序固定は正当化しなさそうであるし、ピアジェより最新の発達心理学の知見を援用すべきだし、最新の知見に基づく順序固定論は見たことがない。

ダミーの是非

順序自由派の中で、ダミーの数字を問題文に入れるのはどうかという提案がある。これは納得できる部分もある。
箱が3つあります。箱の中にリンゴ4つずつ、ミカンが2つずつ入っています。リンゴは全部で何個でしょうか。
このような問題は文章をちゃんと読んでるかを問う上で穏当である。
しかし、中高以上の数学のシビアな問題でダミーの情報を入れることの凶悪さを考えると、難易度を上げることが目的化しすぎており、一般的にはあまり良い手法ではないように思われる。
どちらかというと他の単元の問題、足し算や引き算の問題を混ぜる方が、より穏当だと思う。