ヘーゲルの謎

先月の終わりごろ、ツイッター上でマルクスエンゲルス)に関するツイートを見かけた。

経済学自体、理論・モデル・実証の繋がりやバランス、イデオロギーやビジネスとの繋がりに関し、内でも外でも議論が絶えない分野だと認識している。
そんな中、マルクスの理論が現代経済学の実証的観点から見て、基礎理論として採用できないものである、というのが上のツイートの趣旨であろう。
ところで、マルクスの前にヘーゲルがいる。マルクスが批判しつつ、やはり弁証法(個人的に地雷ワード)がどうたらと言って多大な影響を受けている思想家ヘーゲルであるが、個人的にヘーゲルはヤバいのではないかという気がしている。

弁証法弁証法論理?

ヘーゲルといえば弁証法で、ヘーゲルの論理は弁証法論理だとかいわれるが、その弁証法論理というものの実態がよく分からない。
論理学的には、論理には古典・直感・線型・量子・様相・ファジーやら色々あるわけだが、我々がふつう論理という場合、それはほぼ古典論理のことを指している。実際、社会一般に見られる自然言語による議論も、(エラーは無視するとして)ほぼ古典論理に基づいて行われている。雑な話だが、古典論理以外の論理も形式化を考える際には古典論理をベースにメタプログラミングしているみたいなところはあり、先に述べたような論理はある種の数学モデルという見方もできる。トポスみたいな込み入った概念も元をたどれば集合・位相で、壮大なメタプログラミング感のある話である。
そういう観点から見て、ヘーゲル弁証法論理はテクニカルにどういう位置づけになるのだろうか。数年前に都知事も言った「アウフヘーベン」は、排中律を認めないとか矛盾許容論理とかそういう話だと思うが、より精密にはどういう論理的立場なのだろうか。アウフヘーベンされる場合とされない場合とかそういうのはあるのだろうか。というか論理体系みたいなものを自然言語で記述する意味があるのか。形式的でない論理とは。ヘーゲル、本当によく分からない。本を読んでも余計意味不明感が増しそうで、恐ろしい。くわばら、くわばら。