トランスジェンダー周辺のメモ
トランスジェンダーの定義に関する自分の理解
肉体の性と心の性が一致しない、つまり内面的に異性であるという状態、あるいはその状態である人のことを指す。器質的差異による診断ではなく、基本的に自己申告に基づいて医師から認定される。
疑問点
- 女装者、男装者、女装性愛者、男装性愛者等は含まれるか 。
(ないと思うのだが一部議論で混乱が生じている?) - 自己認識が変化した場合はどういう扱いになるのか。どの程度の頻度であれば変化が許容されるか。
- トランスジェンダーは社会的に、いかなる意味においてシス男性・女性と区分されるか。
思い至った論点
- 第三者から見た、自認する性との一致度(パス度)とルッキズムの問題。
- 外性器の外科的手術やホルモン剤の服用などを、社会的な区切りとするかどうかの倫理的問題。
- 異性の配偶者と子どもがいるトランスジェンダーの、後からのカミングアウトをどう捉えるか。
雑多に色々考えたこと
- 自己申告に基づいている以上、現状トランスジェンダーを騙ることは可能である。
- トランスジェンダーを騙ることのハードルは、倫理・社会的な要素の他に、その個人の性の自己認識の安定性という要素があると考えられる。
(男性・女性的でありたい男性・女性がトランスジェンダーを騙る可能性は低そうである) - 男性・女性的というのはいわゆる「古いジェンダー観」に基づくものであろうから、「古いジェンダー観」にこだわる方がトランスジェンダーを悪用する可能性が低そうに思われる。
- そう考えると、フェミニストが仮想敵とする「古いジェンダー観にこだわる男性」はトランスジェンダーを騙って女性に接近するという行為からは遠そうである。
- この辺、トランス排除傾向のあるフェミニストとジェンダーフリー的な考え方が噛み合わず(性嫌悪)、キリスト教右派と結びついているとかいう話に繋がってくる気がする。
- 一方、トランス女性とシス女性(あるいはトランス男性とシス男性)の社会的な区切りをどうするかということについては、ジェンダーフリー的な考え方が広まるにつれ「境界」が広がり、議論となる機会は増えるであろうと思われる。
- 社会と個人がどう折り合いをつけるかという所には議論の余地があるが、しかし、根本的には診断方法が何らかの形で進歩しない限りは、性善説or性悪説的な議論に終始することになりそうである。